2016年6月26日

お気に入りの品々 その14 『名ありの権兵衛(ごんべえ)』

考えてみると、ひと目でブランド名がわかるものは、あまり好んで身につけないように思います。(わざわざ歩く広告塔になる義務は、誰にもありませんから)
その反動なのか、誰が作ったのか皆目見当もつかないものに、ついつい美の萌芽(ほうが)を探し求める変な癖が生まれました。


どこにでもある、ワンコインで購入した木のスプーンです。すくいの部分の「つぼ」の木目がなかなか面白いので、ためしに買ってみたのですが、この画像、もとの形とはいくぶん異なります。柄の部分のくびれはなく、水分が染みこまないよう、ご丁寧に透明のウレタン塗装がほどこしてありました。
使い勝手はいいのですが、正直に言って、まったく愛着がわきません。つまり、いつゴミ箱に投げ込んでも、とくに心が痛まない消耗品の一つにすぎませんでした。
で、しばらく使ってみて、「匠の仕事」まではたどり着けないにしても、なんとか愛蔵品の末席ぐらいにすべり込ませることはできないかと思い立ち、さっそく紙やすりで、表面のピカピカをすべて落としました。それから、生物的な腰のくびれを作り、表面はうるさくない程度に、彫刻刀ででこぼこに味つけ。仕上げはエゴマ油でオイルフィニッシュ。唇にふれるかすかなごつごつは、縄文へのちょっとした憧憬(どうけい)です。


お次は、近所の古道具屋で見つけた一輪挿しです。素材はピューター、つまりスズの合金で作られた、マレーシアでよく見られる工芸品の一つです。


おそらくもとの姿は、すべて銀色に光り輝いていたはずですが、時を経て、すすけたように全身真っ黒に染まり、かすかなおうとつの並びだけが、うっすらと浮き出ていました。
これがステンレス製であったら、まったく歯が立たないのですが、ピューターの融点は250℃、金属にしては柔らかく、彫刻刀でも太刀打ちできます。で、もとの地肌でもさらすように、ごりごりと削っていき、ふと思い立って、最後はらせんの遊びを取り入れてみました。


いける花は、庭先に咲き群れる、鳥が運んできた実生(みしょう)の野花ばかり。「ちょっとごめんよ」と拝借しては、ほんのしばらくテーブル上で空気を取り交わし、ふたたび同じ場所にかえします。


最後は、偶然の産物。


おそらくステンレス製だと思うのですが、もとの姿は表情に乏しい銀色で、ずいぶんのっぺりとしていました。買う段階で、かなりいい加減なおうとつの付き具合が見て取れたので、遊び半分、トンカチトンカチ「鍛金(たんきん)」に挑戦してみようと考えたわけです。
しかし実際にやってみると、まったく歯が立たず、わずかな傷しかつけることができない。じゃあ、一度焼きを入れてやろうと、ガスコンロの火であぶってみたのですが、これが幸い、いぶされた銅のような憂(うれ)いをうっすらとまとい、おうとつの引っぱりなのか、へりがぐっと持ち上がってくれました。
購入時に不満だったおうとつの間隔も、紙やすりでかるく削ると、うまい具合にふぞろいな紋様として浮き立ち、まあこれでよしと、好奇心の矛をひとまずおさめることになりました。


本来の使い道は、盛りつけ皿やキャッシュトレイなのでしょうが、いまのところ、テーブルランプの「ソーサー」として、終の棲家におさまっています。というのも、このテーブルランプ、玉の部分にタッチすると、明かりがついてくれるのですが、そのおかげで、テーブル上を移動させるたびに、「なんです? 出番ですか?」と、律儀に返事をしてくれるのです。
その生真面目すぎる性格も、ソーサーによってうまく受け流される。と思いきや――きっとやんちゃすぎる静電気でもひそんでいるのでしょう――ときどき不意打ちで「おうワレ、なんや用け?」と、いまだにぱっと、笑顔の花を無邪気に咲かせております。