考えてみると、ひと目でブランド名がわかるものは、あまり好んで身につけないように思います。(わざわざ歩く広告塔になる義務は、誰にもありませんから)
その反動なのか、誰が作ったのか皆目見当もつかないものに、ついつい美の萌芽(ほうが)を探し求める変な癖が生まれました。
使い勝手はいいのですが、正直に言って、まったく愛着がわきません。つまり、いつゴミ箱に投げ込んでも、とくに心が痛まない消耗品の一つにすぎませんでした。
で、しばらく使ってみて、「匠の仕事」まではたどり着けないにしても、なんとか愛蔵品の末席ぐらいにすべり込ませることはできないかと思い立ち、さっそく紙やすりで、表面のピカピカをすべて落としました。それから、生物的な腰のくびれを作り、表面はうるさくない程度に、彫刻刀ででこぼこに味つけ。仕上げはエゴマ油でオイルフィニッシュ。唇にふれるかすかなごつごつは、縄文へのちょっとした憧憬(どうけい)です。
これがステンレス製であったら、まったく歯が立たないのですが、ピューターの融点は250℃、金属にしては柔らかく、彫刻刀でも太刀打ちできます。で、もとの地肌でもさらすように、ごりごりと削っていき、ふと思い立って、最後はらせんの遊びを取り入れてみました。
しかし実際にやってみると、まったく歯が立たず、わずかな傷しかつけることができない。じゃあ、一度焼きを入れてやろうと、ガスコンロの火であぶってみたのですが、これが幸い、いぶされた銅のような憂(うれ)いをうっすらとまとい、おうとつの引っぱりなのか、へりがぐっと持ち上がってくれました。
購入時に不満だったおうとつの間隔も、紙やすりでかるく削ると、うまい具合にふぞろいな紋様として浮き立ち、まあこれでよしと、好奇心の矛をひとまずおさめることになりました。
その生真面目すぎる性格も、ソーサーによってうまく受け流される。と思いきや――きっとやんちゃすぎる静電気でもひそんでいるのでしょう――ときどき不意打ちで「おうワレ、なんや用け?」と、いまだにぱっと、笑顔の花を無邪気に咲かせております。