2021年7月3日

夏旅 2021

孤高のクマ、砂澤ビッキに会うべく、4500キロばかり梅雨のがれをしてきた。
折り返し地点は知床の森、やあやあ、遠いところをわざわざと、ご機嫌なヒグマに手を振られないよう、唐辛子スプレーを持参してのピリピリ旅である。

2017
年の春旅では、ゴール地点を下北半島の仏ヶ浦に見定め、遠野や花巻、まだまだ震災の爪痕が残る沿岸地区を、10日ほどかけてのんびりまわってきた。そのルートを可視化してみると、思いのほか見落としている場所が多く、日本海側もいまだ手つかずだ。というわけで、フェリーに揺られ、やくざなドイツ車にときにあおられ、多種多様な土木事業に目を見張りつつ、旅の大半を「道の人」として過ごしてきた。




あらかじめグーグルマップに星印をつけ、95分はミッションをこなした反面、次の旅に思いをはせるかたちで、心残りもいくつかその地に置いてきた。たとえば出羽三山の一つ、71日開山の月山本宮だけはアイゼンの用意がなく、見晴らしのよい稜線で汗をかけていない。同じく、北海道せたな町の、日本一危険な神社として名高い太田山神社も、手持ちのハーネスやザイルがなく、たっぷりの冷や汗をかけていない。同行二人、またご縁があらんことを。

ちなみに、冒頭の砂澤ビッキは、アイヌの血を引く木彫家で、すでに故人、いまだ作品に使われた緑の顔料の成分が明らかにされていない。きっとそのままがよい。ストラディバリウスのニスがそうであるように、あるいは化学分析にさらされた多くのオーパーツがそうであるように、探求と無粋は紙一重であり、空想の翼をもぐ袋小路であるから。



余談だが、知床にはヒグマに襲われることのないよう、高床式の遊歩道が800メートルばかり続いている。知床五湖のフィールド探索に出かけた場合、遊歩道の突き当たりに設置された、鉄柵式の扉、ならびに回転扉を通って「下界」から戻ってこられるのだが、これがじつに不穏な作りで、遊歩道側から下に降りることができない。鉄の回転扉が一方にしかまわらず、通行を阻まれるのである。
その反面、遊歩道の始まりの入り口に鉄柵や回転扉はなく、考えるまでもなく、駐車場の敷地に迷い込んだ好奇心旺盛なヒグマは、何の障壁もなく遊歩道へと進むことができる。あるいは追い立てられるかたちで、パニック状態で遊歩道に逃げ込むかもしれない。
もしその奥に人がいた場合、それが自分だった場合、あなたはどのような行動を起こすだろう。遊歩道の手すりの外、すぐ足下には、電気柵の三本ラインが延々と走っている。幅10センチほどの手すりに上がり、いちにのさんで、それをうまく飛び越えることができても、最低でも捻挫、下手をすれば骨折が待っているだろう。さらにいうなら、時速40キロで走れるヒグマが、さあどうぞとばかりに、飛び降りるのを悠長に待ってくれるだろうか。いや待たない。ざっくり熊手の、袋小路である。

これまで大きな事故はなく、周辺でのヒグマの目撃によって、ときに遊歩道は閉鎖されるらしい。ただ、
2009年に発生した乗鞍岳クマ襲撃事件、観光客でごった返す畳平(たたみだいら)バスターミナルで起こった惨劇の前例もある。秋の連休中、1000人以上の群衆の中に、あばれ熊が突進したのである。知床の逃げ道のない遊歩道、観光客の目に触れないところで、危機管理が行き届いていればいいのだが。
(売店の人の話によると、駐車場のまわりに電気柵はあるらしいが、車の往来は自由。つまり、いつ四輪が四足になっても不思議でないのである)




閑話休題。
といいたいところだが、まだまだクマのお話。
今回北海道を訪れた目的の一つに、全面改装された白老のポロトコタンと、サホロリゾートのベア・マウンテンがある。2010年に北海道を訪れたさい、ポロトコタンにてせまい檻暮らしの(忌憚なく述べるなら劣悪な環境に置かれた)数頭のヒグマがいたのだが、2018年の一時閉館にともない、イギリスのヨークシャー野生動物公園から救いの手が差し伸べられたらしく、その後の変貌を、実際にこの目で確かめたかったのである。

「大きな湖の集落」を意味するポロトコタンは、国立博物館「ウポポイ(歌うこと)」として息を吹き返し、人員と展示の充実、それにともない、20年近くの長きにわたり
その地で暮らしたヒグマたちの屎尿の匂いも、諦めのまなざしも、すっかり消え失せていた。清潔かつ、平和。ただし、大変鼻がきくらしく、湖のすぐそばでは、ワイルドな工事音を鳴り響かせて、星野リゾートが木々をなぎ倒し、外壁の真っ黒なホテルを建設しているのだった。




一方、ベア・マウンテンの存在を知ったのは、登別のクマ牧場に立ち寄ってからしばらくあとだが、どうやら同じ経営者でありながら、革新の試みに挑んでいるらしく、日本で唯一、高いフェンスに囲われた広大な森の中、十頭前後の雄のヒグマを自然に近い環境で飼育しているらしかった。飼育というよりも、本来の営みへの寄り添い、あるいは遠まわしな贖罪といえるのかもしれない。
野生と檻生活の違いとしてまず思い浮かぶのは、毛並みの美しさだ。下から順に、管理の行き届いてない剥製、コンクリート床の檻生活、同じ位置にサーカスの動物たち、そして環境エンリッチメントに配慮された動物園、野生の美へと続く。さすがに登別出身の彼らに、野生の美を求めるのは酷だが、それでも少なくとも、負い目なく彼らの瞳をじっと見ていられる。見学バスの運行ルートのすぐそば、水辺にばらまかれた「顔見せ用」のドッグフードもなんだか許せてしまう。その後、日陰一つないコンクリートの窪地造りの、別のクマ牧場に立ち寄ったことで、なおさら彼らが(少なくとも飼育環境下において)どれほど幸せであったのか、しみじみ思い返すことになるのだった。

そしてふと、この文章を書いていて、そういえばクマの詩を書いたことがあったぞと、ひょこりと思い出が顔をのぞかせる。何年も読み返したことのない、第一詩集に収められた一篇だ。その詩をもって、締めくくり、この旅をときほどこう。先住者である彼らの安穏を願って。

 




   空白の檻  

萌え渡る秩父の森の奥深く
名も知らぬ渓流をたどった先で
毛並み逆立てる痩せ細った仔熊と
大岩洗う白き流れごしに鉢合わせた

震える釣り竿を胸元に引き寄せ
苔むした大岩の陰に身をひそめて
ただ息を殺し、母熊の到来を待つ
藪払いのための錆びついた鉈(なた)
護符がわりに右手に握りしめて

仔熊は羽虫たちの衛星をまとって
ときおり風向きでも探るように
鼻先を突き上げて、私の匂いを探り
血に宿された威嚇のまねごと
あるいは狩りの訓練でもするように
流木のかけらに爪かけて、転がし
笹藪の葉むらに頭から飲まれていった

腰に吊り下げた熊よけの鈴握りしめ
姿見えぬ母熊に、カムイとしての畏怖を
肌身に焼きつけた、その釣行の帰路
電気柵が張り渡された廃れたブドウ園の
敷地の奥から、ひび割れた咆哮(ほうこう)を耳にした


すでに廃園となって荒れ果てた私有地の
人目につかぬ笹藪の茂みの暗がりに
赤錆びた鉄柵の檻、横たわる墨色の陰
みずからの土葬を成し遂げるかのように
そばの落ち葉を遮二無二かき集め
もはや回復がかなわぬほど痩せ細った
鼻を刺す糞尿の匂いと蝿の群れをまとった
誰からも忘れられたその哀しき母熊の姿に
茨(いばら)の独り立ちが定められた仔熊を重ね見る

役所や保健所の番号を104で聞き出し
安楽死の決定が下されるまでの二時間あまり
檻の上から絞り落としたタオルのしずくに
だらりと垂れた舌が巻き込まれることもなく
鉄柵に挑んではことごとくねじ伏せられた
ぼろぼろに砕けた牙の片鱗がのぞくばかりで

檻ごしの吹き矢の一撃でまぶたをふさがれ
片手に収まる鈍色(にびいろ)の注射針でこの地を離れた
けがれなき森の王者よ、気高き孤高の魂よ
あの日以来閉じられた、釣行日誌の空白に
あなたは永遠に刻まれ、解き放たれている

詩集『九月十九日』より



ポロトコタン ヒグマたちのその後
Yorkshire Wildlife Park



風景のしおりたち
2021616日~71日・総走行距離4500キロ(うちフェリー300キロ)