7年ほど前でしょうか。沖縄北部の美ら海水族館を訪れたおり、ずんぐりむっくりのマナティーとにらめっこをしてきました。どこか人間くさい、そのユーモラスな造形を、何をするでもなく半時間ばかりぼんやりと眺めていたのですが、なぜかふと「こやつを木で彫ってみたいな」という思いが、ぽこりと湧き上がったのでした。(実際目の前では、気まぐれなモールス信号でも打たれるように、おならのあぶくが途切れがちに揺らめいていた)
といっても、お金をあまりかけることなく、「ありもの」で間に合わせるのが信条です。さっそく実家から、学生時代にお世話になった、なつかしの「彫刻刀セット」を送ってもらい、途中で投げ出すことも十分に考えられるので、材料は100円ショップで、長さ20センチほどの、焼きの入れられた園芸用の杉の杭を購入。
本来杉は、木目の間隔が広く、彫刻には不向きな材料らしいのですが、そんなこともつゆ知らず、さっそくノミと木づちで、遠慮なくどんどんへりを落としていきます。鉛筆でマーキングしては、早くも指の腹にタコの気配を感じつつ、奥歯を噛みしめ、おそろしく切れ味の悪い彫刻刀の刃先を、ごりごり押し込んでいきます。
その結果、徹底的に紙やすりでのっぺらぼうに磨き上げられ、その名前のない何ものかは、3年ばかり日の目を見ることもなく、押し入れの奥でぐっすり眠りにつくことになりました。その後、破魔矢をのせるための台座として、ごろりと裏返され、鴨居のちょっとしたくぼみに鎮座することになりました。
去年の夏、岡山の地で円空と木喰(もくじき)の展覧会を見たことが、あるいはくすぶっていた導火線に、あらたな創作の火種をもたらしたのかもしれません。
そうして「マナティーになりそこねたもの」は、うっすらと輪郭のアールを残しながらも、その姿かたちを失い、あらたな命を宿すことになりました。
本来なら土の中で朽ちていく、黒く焼きの入れられた園芸用の杉の杭、それがいまでは、毎日何度となく顔を合わせるトイレの厠神(かわやがみ)として、手作りの揺りかごのなか、じっとたたずんでおられます。