短編『象と暮らして』が収録されたショートショート作品集『夢三十夜』が、学研プラスより発売されました。
正式な題名は『夢三十夜 あなたの想像力が紡ぐ物語』 (5分後の隣のシリーズ)となります。
学研プラス
https://hon.gakken.jp/book/1020542500
Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/4052054253/
坊っちゃん文学賞佳作の『象と暮らして』のほかに、書き下ろし作品『天使きたりて』も収録されております。本の題名『夢三十夜』は、もちろん漱石の『夢十夜』から。
ラジオ朗読、書籍の収録と、少しずつメディアミックスの輪が幸福な広がりを見せていて、嬉しいかぎりです。
手間と時間がかかりますが、腹持ちのいい物語を、これからも牛の歩みで、泥臭く。
短編『象と暮らして』(松山市公式サイト)
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/machizukuri/kotoba/bocchan.files/17th-04-zou.pdf
2021年6月10日
紙の書籍『夢三十夜』発売のお知らせ
2021年5月6日
ラジオ放送・作品朗読のお知らせ
短編『象と暮らして』が、愛媛県の南海放送で朗読されることになりました。
番組名 『明屋書店プレゼンツ あなたの本棚』
放送日時 (本放送)6月20日 日曜日 16時15分~
(再放送)6月26日 土曜日 17時50分~
番組URL https://blog.rnb.co.jp/hondana/
画像は、四年ぶりに土をさわったささやかな成果。
迷い猫ポッケの一周忌に、何か作ってみようと思い立ったのである。
仰々しい位牌ではなく、作業机のかたすみ、日常の一員として。
2021年3月28日
H氏賞選考 後記 「ひらかれたほうへ」
三月吉日、選考委員としての務めを、なんとか無事に終えました。
詳細は「冊子・現代詩」に記すので、ここでは別角度から。
今回初めて、H氏賞の選考に関わることになり、その過程でいくつかの気づきがあったので、基本情報とともに、公表しても問題のない範囲で書き留めておきます。参照は、現代詩人会のウェブサイト、ならびに表彰式で誰でも入手可能な「冊子・現代詩」。
【基本情報】
現代詩人会のウェブサイトでも確認できますが、毎年、年末から年明けにかけて、千名を超える会員の投票によって、上位から八冊の詩集(同票の場合は増加)が選出され、さらには年度ごとに変更される七名の選考委員によって、推薦詩集が三冊ほど追加され、最終的な候補作が決定します。その後、第二次選考会をへて、受賞作が選ばれるのですが、新人賞として「二つの大きな規定」が設けられています。
【1】ダブル受賞は認めない。
2016年度から明文化され、たとえば選考日が先になる中原中也賞を、H氏賞の候補作が受賞した場合、選考の対象からはずされます。
その理由は定かでありません。話題性の分散・喜びの分配でしょうか。それとも絶滅危惧種である詩人への救済策の一つでしょうか。映画や音楽、またデザインやファッションの分野、さらに言うなら小説の分野でも、ダブル受賞、トリプル受賞は当たり前なので、首をかしげる人がいるかもしれません。どうやらほかの主要な詩賞も、横並びにそれにならっているようです。
私の個人的な感想は、「スターが生まれづらい構造だな、というか、そもそも詩人のスターって半世紀ばかり見てない気がするな」ぐらいです。存命の詩人を五人言える日本人は、今後さらに減少していくでしょう。(だからこそ、詩や物語でしか救われない人がいると信じて、書き手はなおいっそう、魂をすり減らす血の歩みが必要なのかもしれません)
【2】詩集による受賞歴のある詩人は候補外。
H氏賞は新人賞であるため、過去に全国的な賞で、詩集による受賞歴のある詩人は、詩歴に関係なく対象から除外されます。
全国的な賞の定義が曖昧ですが、詩人の名前を冠した詩賞、新聞社が協賛している詩賞は、おおよそはじかれると考えて間違いありません。自分を例に挙げると、第1詩集で小野十三郎賞を受賞したため、第2詩集では対象とならず、2019年度の選考委員である池田瑛子さんが推薦詩集として名前を挙げてくださいましたが、「受賞歴あり」という理由で、候補を決める段階ではずされています。(2019年選評より)
「新人の定義」については、その他の候補作との兼ね合いで、年度ごとに流動があるので、暗黙のふくみは残されていますが、たとえば詩集の巻末や帯文にあえて受賞歴を記さず、新人を装っても、選考の段階で洗い出され、はじかれるのは間違いないでしょう。
なお、詩集以外の受賞歴については問題ないと思いますが、選考委員によっては「物書きのベテラン」と見なされ、切り捨てのニュアンスを間接的に匂わせる可能性がそこには残されています。(実際に目にしたことはなく、あくまで可能性の話です、念のため)
その昔、水泳や体操、柔道やマラソンで、オリンピックの候補を決める段階で大揉めした事件がありましたが、その後改善されたように、声の大きな選考委員の気まぐれに寄りかからない、「新人の定義」の基準ラインを明文化・可視化したほうが健全であり、年度による不必要な揺れはなくなると思われます。もし受賞歴のある候補者(得票者)が複数いて、それを含めなければ「八冊」の定数に足りない場合は、「例外」の項目をあらかじめ決めておき、その回にかぎって適用すればいいだけの話です。『定数不足の場合にかぎり、受賞歴ありの得票者も含める』というように。
また、取り決めた「基準ライン」に不服があれば、年に一度の夏の総会で、会員なら誰でも意見を述べる機会が与えられているので、そこで可否をつのればいいだけかと思われます。耳のいい、言葉を大切にする方が多数であるので、その提言に説得力と正当性があればかならず受け入れられるはずですので。
以上が、H氏賞の選考についての、会員外でも共有されていい(あるいは共有されるべき)最低限の規定になります。
あと、もう一点、新しい書き手のために改善があってもいいかもしれません。
それは、現代詩人会のウェブサイト上にある、選考委員の公表時期についてです。
私の間違いでなければ、いま現在(※後述あり)、H氏賞の候補作が決定した段階で、選考委員の名前が明らかにされています。しかしその一方、現代詩人会の会員である場合、すでに投票用紙の受け取りとともに、選考委員の名前を知ることができ、当然ながら詩集を送ることも可能です。
小さな戦いになりますが、私はこれを疑問に感じ、昨年12月の段階で、選考委員に就任したことをブログ上でお伝えしました。選考委員長である秋さんも、やはり疑問に思っていたようで、ほどなくツイッター上で、七名の選考委員の氏名、さらには私家版であっても受け付けることも書き加えて、書き手たちの可能性を広げてくださいました。
では、公平性を保つために、いつ発表するのかという問題がありますが、経験上、会員投票と同じ時期、秋から冬にかけてが一番いいのかもしれません。実際に経験したからこそわかるのですが、たとえば一年前ですと、つねに送られてくる詩集のことが頭から離れず、人によってはリソースが大きく割かれ、仕事や生活に支障がきたすでしょう。
プライバシーのことがあるので、ウェブサイトに住所を公表することはもちろんNGですが、少し考えれば、どの経由地を踏めば選考委員に詩集を届けることが可能なのかわかるはずです。熱心な書き手なら、すでに実行に移しているはずなので、ここに記すまでもないですが、送るのも自由、そして選考委員が読む読まないも自由、すぐれた詩集を見いだす原点に立ち返って、風通しをよくするのも一つの策ではないかと考えています。(余談ですが、今回私が推薦した一冊は、自腹で購入した顔さえ知らない遠い人。献本された詩集はすべて目を通し、公平性を期すために、知り合いであっても感想・返礼は一切なし)
以上は、あくまで新しい書き手の立場に立った個人的な考察です。
現代詩人会からの視点が欠けているので、変更がむずかしい理由・都合が当然あるでしょう。引き継がれてきた伝統もあるでしょう。それらを否定するつもりはなく、あくまですそ野の広がりを期待する、群れからはぐれたテキスト原理主義者の、長すぎる独り言になります。ですので、どうぞ反証の握りこぶしなどが、くれぐれも近づいてこぬよう。
「うだうだ言わず、君こそ夏の総会で挙手すべきである!」との。
* * * * *
※後述
選考委員の公表時期が、次年度は11月に、2022年度は12月に変更・改善されました。
2021年3月3日
坊っちゃん文学賞、佳作受賞のお知らせ
短編『象と暮らして』が、第17回坊っちゃん文学賞の佳作を受賞しました。
応募総数9318作品のうち、大賞1、佳作5という、なかなかのふるいがけで、M1グランプリでたとえるなら、決勝の決勝、最終決戦の俎上(そじょう)に息もたえだえ這いのぼったというところでしょうか。
残念ながらコロナの影響で、松山での表彰式が中止になり、計画していたレンタカーの一人旅も霧散してしまいましたが、もしかすると、目下のH氏賞の選考に注力せよとの、ひげもじゃの詩神からの見えないお達しなのかもしれません。
結果、ZOOMを使ってのリモート表彰式となったのですが、YouTubeの見過ぎでしょうか、細かく分割された画面のどこかに、ジャルジャルのメンバーがひょっこりまぎれていそうな、そんな空気感で、佳作の身ながら楽しく(不思議とがっかり感もなく)引き立て役として過ごすことができました。
選考委員の一人である声優の大原さやかさんに、身にあまるほどのお言葉をいただいたのですが、おそらく今後、京王線のホームアナウンスを耳にするたびに、そのときの喜びと、すてきなベレー帽を思い出すことでしょう。
選考委員もそうですが、予備選考に関わって下さった関係者は、さらに疲弊したはずです。文字のお化けが夢に出てきたかもしれませんね。あなたがいたからこその、わたしです。ささやかなねぎらいとともに、感謝申し上げ、まなざし高く、坊っちゃんは青年の旅へ出立します。
松山市・坊っちゃん文学賞公式サイト
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/machizukuri/kotoba/bocchan.html#cms17sakuhin
短編『象と暮らして』
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/machizukuri/kotoba/bocchan.files/17th-04-zou.pdf
ある夏、「漱石の家」で |
2020年12月21日
H氏賞、選考委員就任のお知らせ
光栄なことに、第71回H氏賞の選考委員の一人として参加することになりました。
ここ数年、詩を取り巻く現状はなかなか厳しいものがあり、立て続けに三つの詩賞が終わりを迎えています。(現代詩花椿賞・高見順賞・三好達治賞)
それはもしかすると、本来の詩の正しい立ち姿なのかもしれません。華々しい桂冠は、ときに書くためのガソリンになりますが、仰ぎの目的地にするべきではありませんから。見晴らしのよさに満足し、うっかりすると歩みの靴を脱がせてあぐらをかかせますから。
言い換えると、目的地がないからこそ、「なぜ」は枝葉を伸ばすのかもしれません。
なぜ書くのか、なぜ詩なのか、(自身の内奥を含め)誰に向けて声を届けたいのか。極論でいえば、その「なぜ」さえも、ときに詩を濁らせるでしょう。
誰も詩を求めない世界の果てから、新しい靴音が聞こえてくることを、同じまなざしを持つ一人の書き手として期待しています。