2018年7月13日

詩集『月影という名の』発売のお知らせ

2詩集『月影という名の』が、思潮社より発売されました。
表紙は石彫家の佐野藍さんと、作品「サクラオオカミ」です。

あまり知られてないですが、影という言葉には、本来「光」という意味も含まれており、白く輝くサクラオオカミと漆黒の服をまとった佐野さんの姿が、分かちがたく一つの月を体現しております。



サクラオオカミとの出会いは、たしか初稿を書いているさなか、2017年の春先ごろだったと記憶しています。偶然ツイッター上で、佐野さんの腰かける画像を見かけ、あまりの出来ばえの美しさ、構図の完成度に、一目惚れにも似た、何かあらわしがたい感情が芽生えるのをたしかに感じたのでした。

詩作が終盤に差しかかるにつれて、その答えが霧の向こうでぼんやりと輪郭を持ち始めたのですが、少なくとも目に見えるかたちで、サクラオオカミや佐野さんの姿がペン先に働きかけることはなく、4月の下旬、ひとまず第1稿を書き上げることになります。そのころにはすでに、サクラオオカミが生まれるまでの現場を、1分ほどの短い映像で知り及んでいました。

CREATOR FILE 佐野藍

といっても、大学院の修了作品であるサクラオオカミに取り組む佐野さんの姿を――石彫に対する想いと学内での作業風景を――ちらっと垣間見ただけで、いまだに接点はなく、その距離は少しも縮まってはいません。その後サクラオオカミは、大学買い上げの栄誉を受け、佐野さんは石彫家として歩み始め、翌年春の初個展では、完売を成し遂げます。


サクラオオカミでしかこの詩集の表紙はあり得ないと、はっきりと意識した――つまり、自身の奥底の声に気づかされた日のことは、よく覚えています。2017年の5月下旬、とある食事の席で、懇意にしている創作家の方が、新詩集の表紙案について、ふと提案してくれたのでした。そのさい私は、否定も肯定もできず、あいまいに言葉を濁すのですが、その理由は間違いなく、佐野さんの腰かけるサクラオオカミの、日増しにその存在を心の中で大きくしている、あの画像でした。

もちろん保険をかけるかたちで、その場でいい返事をすることもできたでしょう。ご提案、ありがとうございます、そうなるといいですね、と。しかしそのような態度の表明は、ぬかるんだ道の始まりとして、詩集の仕上がりに少なからず影響するはずですし、なにより双方の創作家に失礼にあたります。それは命を削る思いで作り上げた作品に対する、魂の侮辱でもあります。

私にできる唯一のこと、するべきことは、そのようなよこしまな道に走ることなく、まず愚直に、時間をかけて、作品そのものの質を上げることでした。手製のレンガを黙々と積み上げ、首をかしげてはまた一から積み直し、気づけば秋になっていましたが、なんとか1冊の詩集として形になりそうな、たしかな手ごたえがそこにはありました。貧弱だったレンガの壁は、ほどなく真円の土台を形作り、少し不格好ながらも一本の塔へと成長し、その先端を未明の空へと伸ばしていました。

そして10月、私は「三人展」に参加していた佐野さんに会うべく、東京の調布にある「みるめギャラリー」まで足を運びます。こぬか雨が降っていたあの日、もし佐野さんの風邪があれ以上悪化していれば、会えずじまいで、もしかするとそのまま、ささやかなロウソクの火は消えていたのかもしれません。
ツイッターの予告より少し遅れて姿を見せた佐野さんは、終始マスク姿で、その表情こそわかりませんでしたが、とても誠実な話しぶりで、サクラオオカミにまつわるお話を聞かせてくれました。個人のプライバシーに関わるので詳細はひかえますが、その話のなかには、人が避けては通れない死にまつわる逸話も含まれており、私はそのときふと、サクラオオカミの体を覆う花びらの向こうに、「哀しみの宿痾(しゅくあ)」という言葉を思い浮かべたのでした。

そうしてささやかではありますが、ツイッター上での交流が始まり、私は12月のはじめ、満を持して、表紙の依頼をします。そのメールの中で、私は以下のことを記しました。

今年の春に初稿を書き上げてから、ひそかにその思いを抱いており、その後、花影抄のブログ内で佐野さんが書かれた、サクラオオカミにまつわる制作のお話や、まわりの方々に対する真摯な想いを拝読し、なおいっそう、作り手である佐野さんの人柄を含め、多くの人たちに支えられた背景を持つ作品そのものに惹きつけられたこと。
また、実際に10月、調布のギャラリーでお目にかかり、短い時間ではあったがお話をうかがい、作品にかける思いや、サクラオオカミについての逸話を知ることで、これまでは気づかなかった、詩集に通底するテーマのようなものが、うっすらとほの見えたこと。
人間はどうしても、哀しみの宿痾とでも形容できる過去を、知らぬ間に背負って、あるいは抱え込んで生きていく。そのようなテーマが、声高でないかたちで、たしかに内包されていると―。

ただ、作品「サクラオオカミ」は佐野さんにとって、いま現在の代表作、名刺がわりともいえるとても大切な画像であるはずなので、もし考慮の余地があれば、実際に詩集の原稿を読んでいただいて、最終的な判断をしてくださるとありがたいですと、依頼文の結びにお願いしたのでした。

さいわい、佐野さんからはよい返事をいただくことができ、私は理想とする装幀デザインを、素人ながらも模索していくことになります。元画像の微修正や文字の配置、箔押しや空(から)押し、カバーの紙選びや挿絵など、恐ろしいまでにこだわりが強いため、思潮社の藤井一乃さんとデザイン担当の和泉(いずみ)紗理さんには、かなりの苦労をかけることになります。以下にその一端を。

自作の装幀データ。レスポンスの軌跡

そうして完成したのが、こちらになります。


金の箔押し。紙はマットな質感

細かいシボのついた墨色の紙。新月をイメージ

タイトルの空押し。四隅には微妙なアール
トビラには薄刷りの満月

初期のイメージから、いくつか変更点はあったものの、大変満足のいく仕上がりとなりました。あえて紹介してない箇所もいくつかあるのですが、それは実際に詩集をひらいて確認していただきたいと思っています。

そして今回の詩集作り、偶然にも第1詩集と同じように三人の女性に助けられることになりました。前回は、ふらんす堂の編集兼デザインの山岡有以子さん、オビ文の河津聖恵さん、装画の玉川麻衣さん、そして今回は、思潮社のゴッドマザー藤井さんと、デザイン番長の和泉さん、サクラオオカミの産みの親であり詩集の顔でもある佐野藍さんのお三方。前回同様、がっちりスクラムを組んで、三位(さんみ)一体ならぬ「四位一体」で、なんとか無事に初夏の風渡る、見晴らしのいい山頂までたどり着けたのでした。

そして忘れていけないのは、サクラオオカミの一葉を撮ってくださった、縣(あがた)健司【Kenji Agata】さん。佐野さんの大学時代からの盟友であり、手元を離れたすべての石彫作品をカメラにおさめている気鋭の作家でもあります。お目にかかったことはありませんが、私は彼のことを、万物の流転をシャッターひとつで押しとどめる男、平成のヘラクレイトスとひそかに呼んでいます。

詩集『月影という名の』の制作に関わってくださった皆さま、本当にありがとうございました!

628日 満月 森水陽一郎


2018年6月、Gallery花影抄の個展にて

【購入方法】
思潮社 https://goo.gl/6qWY8k
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Gallery花影抄内の、佐野藍さんブログ
サクラオオカミの舟 https://goo.gl/i6oi6C