2017年11月21日

文学講座の御礼・神戸新聞掲載・墓参りについての短文

ふるさと姫路での文学講座「七つ転んで、詩が生まれる」、おかげさまで、急遽予備のイスが用意されるほどの盛況ぶりで、60名ほどが来てくださいました。
関西人は「笑かしてなんぼ」「お笑い原理主義」の修羅の世界ですので、なかなかのプレッシャーでしたが、どうにかその任を果たせたのではないかと、ほっとしております。

姫路文連の関係者の皆様、仲立ちをして下さった詩人の大西隆志さん、特大の熊手で、親類縁者を根こそぎかき集めてくれた母親に感謝し、お礼の言葉とさせていただきます。
あたたかな笑い声と拍手、財布に入りきれないほどの心のおひねりを、皆様ありがとうございました! 

画像は、帰省の途中で立ち寄った、三重の山中を駆け流れる赤目四十八滝。
講座で取り上げた車谷長吉さんへの、最低限の礼儀として、実際に歩いたのでした。











【追記】

1110日付の神戸新聞で、講座の様子を紹介していただきました。
紙面の都合上、2時間の講座が布団圧縮袋式に超訳され、さらっと目を通すと、私のあこがれの作家が車谷長吉さんと誤読できてしまうのですが、まあ、ありがたいかぎりです。
本文の紹介は、著作権保護の観点と、「にやけ」が特盛りのため、自粛の方向で。



そして、少し時間をさかのぼりますが、講座の前日、墓参りをしてきました。飼っていた動物の墓を含め、市内に散らばる墓地を5か所ほどまわります。




1枚目は名古山にそびえる仏舎利塔。手前に写っているのは、妻と子供を含めた森水一族。
ではなく、永遠にどいてくれなかった赤の他人。
2枚目の先のとがった墓の一つは、母方の祖母の弟のもの。
親族の墓をさらすのは、あまり褒められた行為ではありませんが、一つ言いそえると、横並びの彼らはすべて先の大戦の戦没者であり、少なくない遺骨が、いまだ異国の地で野ざらしとなっています。

祖母の弟は、享年25。フィリピンのルソン島、クラーク飛行場の付近で亡くなったと墓の側面に刻まれていますが、いまだ遺骨は戻っていません。(戦病死と伝えられていますが、あるいは気休めの、気づかいの報告なのかも知れません)
帰省中、何度か田舎の道ばたに、あるいは訪れた墓地の隅っこに、横並びの神道型の墓を見かけましたが、その意味を知る人はあまり多くはないでしょう。

彼らが自身の死を、意味のあるものとして後世に伝えてほしいのか定かではありませんが、少なくとも知ることは、彼らの歩んだ短くも苛酷な、徴兵忌避を遠ざけた曲がりのない一本道に想いをはせるきっかけとなり、それは私自身の生き方にも、何らかのかたちで反映されるのではないかと、個人的には考えています。背の曲がりを正す、座禅の警策(きょうさく)のような役割として。