2016年10月17日

房総てしごと博覧会を終えて

1015日、天女舞う秋晴れのもと、房総てしごと博覧会のつとめを無事に終えました。
ちょっとしたアシカショーを思わせる、合計3回の朗読(詩・物語・詩)、とくに最初の1回目などは、ガチガチに緊張して、耳の穴から蒸気がふき出していましたが、どうにかこうにか、文法を無視した怪しげな日本語で乗り切ることができました。

翌日の展示をひかえた、ガラス作家の左藤玲朗さんが、わざわざ小野十三郎賞のお祝いの花束を手に駆けつけてくださり、朗読の1回目、2回目と、耳を傾けてくださって、うれしいやら、照れくさいやら。まったく、ありがたいの一言です。(ふいの雷を落とし、ガラス工房をわやくちゃにした何者かへ、私は断固として抗議する)

余談ですが、左藤さんの伝記的な書物『はじまりのコップ』(木村衣有子著)は、お世辞抜きで、物づくりをする人の、ささやかな指針になると思います。ありきたりな根性論とは異なる、夢を捨て置かない粘りの姿勢や、ひかえめで戦略的な、実践に裏打ちされた血の通った哲学が、随所に散りばめられているので。

今回の展示にあたって、もちろんいくつかの学びと反省はあるのですが、それよりも、未知の作り手たちと出会えたことや、関係性の糸をより太く、頑丈に成長させられたことのほうが、大きな収穫であったように思えます。また、朗読にあたって、鑑賞者の率直な反応を間近に見られたことも、いい意味での想像とのギャップ、思わぬ裏切りがあり、勉強になりました。

あと、以前にお知らせしたとおり、それほどの額ではありませんが、詩集の売り上げのすべてを、1015日付で「日本点字図書館」に、ネット銀行経由で寄付しました。あいまいな記憶ですが、たしかしばらくの時間をはさんで、返礼の封筒が届いたような。

以下は、15日の展示の様子。一部は、小高善和靴工房の、小高さん撮影。



詩集の紹介と、陶器作品。右手にはおまけとして、クルミたっぷりのマドレーヌと、ココナッツのチュイル。


ネストテーブルを使っての展示と、てしごと博覧会用の、書き下ろしの詩のタイピング映像。キーボードのまわりに置かれた備品は、作中に登場する常設作家4人の作品(+左藤さんの宝珠ペーパーウェイトと、マスダナナさんの銅版画)。背後の壁には、房総に関連した文字の曼荼羅、詩の「脳内設計図」。


展示スペースの全体像。庭先からちょちょいと、季節の風かおる秋の草を拝借。その他の常設作家の展示風景は、このページを参照。


二階の朗読スペース。床のサークルは、近所の浜辺で拾ったもやい綱(磯臭いので、三か月の天日干し)。ひときわ長い流木は、燃え上がる炎の舌をイメージ。サークルを取り囲む和紙のランタンは、マスダナナ(別名義Tsuna.)さんと、アトリエアイルの共同制作。丸太に鎮座するご本尊は、朗読者の自作。



1回目の、朗読前のひととき。デジタルカメラの限界のおかげで、おそらく個人特定は難しいはず。左端に朗読者。この時点で、早くも脳みそがフリーズの予感に満ち満ちているが、最後には上機嫌、アカペラで歌なども口ずさむ。曲名は、もちろん聞けた人だけの特典。

最後は、今回のてしごと博覧会のために書き下ろした詩、「雄弁な手の先に」
推敲一切なし、まったくのノー編集で、生醤油、蔵出しの酒のイメージ。(映像バージョンは約13分)




作中に登場する4人の作り手が、来年もまた、がっしりスクラムを組んで、あらたな仲間を引き連れ、いすみの土地に豊穣(ほうじょう)の風を吹き渡らせることでしょう。

お疲れさまでした。そして、「こころ」よりありがとう!