2016年12月29日

総括と展望、掲載の予告

はた目から見ると、おそらく「発芽の年」「実りの年」に映ったはずの2016年、実はほとんど旅に出ることもなく、黙々といくつかの種まきに取り組んでいました。かなりの総力戦で、物語のダムが空っぽになってしまいましたが、とくに心配はしていません。
これまでの経験で、あらたな慈雨の訪れがやってくることは知っています。すでに彼らの足音の気配と、淡い水彩の、いくつかの風景がもたらされています。形になるのは数年後でしょうが、それはきっと、ある人にとっては気づきの物語となり、ある人にとっては、永遠に尽きない人生のパンとなるはずです。
まだしばらくは、ダムの水が満たされるのを待たねばなりませんが、かといって、のんびりボートに寝そべり、その舳先に青い鳥がとまるのを待っているわけにもいきません。来年の春に、喜びのさえずりが訪れることを願いつつ、深い霧のただなか、えんやこらと、鉛のオールを休みなくこぎ続けなくては。

というわけで、来年にひかえたいくつかの掲載を。

まずは、『ふらんす堂通信151号』。小野十三郎賞についての受賞の言葉と、書き下ろしの詩と、特別寄稿のエッセーが掲載されます。このエッセー、書くまでの段階で、すでに不思議ないきさつがあったのですが、詳細はいずれまた。

あとは、『樹林』春号。詩集『九月十九日』より、表題作の詩「九月十九日」と、贈呈式での受賞スピーチの全文と、おおよそ1万字のロングインタビューが掲載されます。
『私の履歴書』には遠く及びませんが、かなり濃密に、物語を書くようになったいきさつや、逡巡の日々や、詩集『九月十九日』について語っています。基礎がぐらぐらのおんぼろ小屋を、いったん解体し、あれこれ手を入れてふたたび立ち上げる作業は、なんだか自分自身にお色直しでもするようで、かなり楽しく取り組めました。思わずプッとふき出す言葉のチョイスも、不意打ちでまぎれ込んでいると思います。わたくし森水の、原材料と製造過程を知りたい方は、ぜひ。